眠りにつく10秒前。

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太宰好きなやつ大体友達

どういうわけか、私の周りには太宰好きな友人が多かった。「活字本はあんまり読まないけど太宰は好き」という人もかなりいた。

好きな作家が共通していれば仲良くなったりする。けれど、私はあまり太宰治を知らない。腐っても文学部出だから、人並みには知っているとは思うけれど、『人間失格』に霹靂した経験があって、熱心に読む作家ではない。『斜陽』と『グッド・バイ』の文庫も通読した覚えがあるものの、あとは代表作とされる短編をいくつか読んだくらいだ。いわゆる無頼派でいえば、坂口安吾の方がダンディズムを感じられ、よく読んでいた。

そのくせ、彼らは芥川のような節制された端正な文章を書くのが、もっと不思議だった。逆に私は自意識丸出しで放漫な文を書き散らす悪癖があったので、その修正に手間取ってよく課題の提出が遅れた。修正といっても、真剣味を削っておちゃらけるという始末で、試験で点を取るわりに国語全般の成績は芳しくなかった。癖はなかなか抜けないもので、推敲を重ねてもこうした拙文しか仕上げることができない。

今もさらっと露見したけれど、私は自虐が大の得意だった。最近はめっきりTVを観ないのでお笑いの流行には疎いのだが、十代の頃はドツキ芸めいたものが流行っていた(気がする)。お笑いといえば鋭いツッコミと下ネタ、そしてアニメから輸入された2ちゃんネタが定番だった。

そういうギャグだとかツッコミというのは大概がテンプレート化されている。ろくにお笑いも知らないくせにテンプレの会話が退屈だったので、文脈に沿わないシュールなことを言ったりボケにボケを重ねたりしていた。当時は知らなかったが、バナナマンのスタイルに一番近い。

また、私は野蛮な行いが嫌いだった。人の頭を引っ叩いたり他人をグチグチ口撃して笑いを取るくらいなら馬鹿な真似をして笑われた方がマシだ、と貧弱者の少年は考え、自虐をしておけば何とかなるという答えにたどり着いた。そう、立派なピエロの仮面を手に入れた私は太宰に近い素質の持ち主だったのだ。


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就職に向けたセミナーなんかで「学生時代の実績をアピールしましょう」といったことをよく耳にする。集団面接の経験の乏しい私はあまり目にしたことはないけれど、バイトリーダー兼サークルリーダーの経験があり、ボランティア活動に積極的に参加する「社会的に好ましい若者」が大量に発生するそうだ。

正直、そんな自信満々な青二才を誰が雇うのかわからないが、爽やかさに自信のある人はどうぞ実践して頂きたい。

社会は競争が大好きな体育会系の人間が牛耳っている。昨今の常識人はジェンダーレスを振りかざすのが流行りらしいが、私のような女々しい人間は「男らしくない」といとも容易くセクハラ被害に遭う。 ハハ、ワロスワロス

会社においては業績を上げることが最も重要であり、その次に大切なものは社会への目配りだ。利益に繋がらない者の精神的個性(肉体の特徴も同じだろう)の尊重なんてものは存在しない。基本的な人権も得られない。私は太宰ほど自己愛がないので「人間失格」と大きなことは言えない。長い目で見るまでもなく切り捨てられる、「半人前失格」といったところだろうか。


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なんだかリベラルめいた愚痴になってしまった。自虐が過ぎると他虐にも繋がるという悪い例だ。こういう時はタイトルに戻ろう。円環を感じられ、いかにも良い記事っぽく見える。

太宰の好事家は存外少なくない。彼らは真っ当な人間であるにもかかわらず、「半人前失格」な連中にも概して好意的に接してくれる。彼らが構ってくれるおかげで私も世捨て人にならずに済んでいる。正に社会の良心。彼らが私の道化た振る舞いに親しんでくれる内は華だと思って生きていたい。

我ながらピカレスクロマンなオチである。親愛なる友達、どうか私で笑っておくれ。


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