眠りにつく10秒前。

このページはまだ見つかっていません。

橋の上で踊ろう

f:id:imarnarom:20171205141958j:plain


「橋の上で踊ろう」、という歌があった気がする。でも未だに思い出せない。ひょっとしたら橋の下かもしれない。


上で踊ろうが下で踊ろうが、芸人は芸人だ。つまり、社会の爪弾き者。爪弾きが弾かれてPOPになる。なんだか愉快だ。


POPとは何か?表現者、あるいはその受け手(すべからく彼らは表現者の恋人である)にとって、永遠の命題であるかのようにされている。しかし、それほど複雑な問題だとは思えない。

ネットでも何でも、辞書を引いてみれば答えは簡単に導ける。


"POP - 動詞。自動詞。

ポン[パン]と鳴る[爆発する、弾ける]."

(Weblio辞書より引用)


やれ、大衆に迎合するだのと、最大公約数的にPOPを捉える者がいる。それはPOPSだ。POPSはPOPのエピゴーネンであり、残念ながら安易なものであることが多い。

有り体に言えば、「芸術は爆発だ」。早まってはいけない。岡本太郎の本意はわからないが、凡人にとって、爆発とは日常の対義語にはなり得ない。

日常、つまり生活と、非日常、つまり非生活が摩擦し合って起こるもの。それが爆発なのではないか。非生活、というと抽象的に思われる。非生産、といえばわかりやすいか。


割り切れないもの。それが爆発たり得るし、異界たり得る。私たちは認知していない爆発を日々、見過ごしているのかもしれない。死と生は隣り合わせだ、なんて大袈裟なことは言いたくないけど、まあそんな感じ…。

そもそも橋。水は死を連想させる。その上に地面を作って渡ろうなんて、心配性の人間にとっては正気の沙汰じゃない。そこで踊ろうなんてどう考えても狂気だ。


多和田葉子著『遣灯使』を読み終わった。境界線を見つけてはニヤニヤしている、私のような人間にはちょっとラストシーンは鮮やかすぎて涙ぐんでしまう。